お店をやってみたい人に
−起業の話−


1.お店をはじめてみませんか

有機野菜のお店や石けんなどを置くエコショップを作りたいのですが、という問い合わせが時々あります。ちょっと古い統計ですが、あるアンケートで石けんを使いたい人の割合は50%、実際に使っている人の割合は10%だったそうです。使わない人の理由は「近くに売っているお店が無いから。」

有機野菜や石けんを置いた店が日本中、どこへ行ってもあるようになればいいなと思っています。てくてくの歩みを伝えることで、これからお店をしたい、特に仕事=就職ではない別の生き方で自分の自己実現をしてみたいという若い人たちに何らかの助けになればいいなと考え、書いてみました。


今オーガニックやエコロジー、フェアトレードなどをコンセプトにする仕事は追い風にあります。それとともに町中にある小さな、いわゆるパパママストアといわれる個人経営の小さなお店は、内容にかかわらず厳しい環境に置かれています。

2つの相反するベクトルの中にわたしたちはいるわけですが、しっかりしたビジョンをもっていれば自分を見失わずに経営していくことができると信じています。

2.形態別概要

a.有機野菜のお店

有機野菜の流通ははじめ、有機農家と意識のある消費者グループとの提携という形で始まりました。その後有機野菜を専門に扱うお店は25年くらい前にはじめてできました。

70年安保の後、自分探しの旅に出た団塊世代の若者達は、インドへ行って精神的なビジョンを得たり、農村に入って百姓をしたり、都会でコミュニティーづくりをしたり。そんな中で髭面、長髪、ジーパン姿でリアカーを引いて有機野菜を売って自己表現をする人達が、全国にでてきました。

そんな人達が共同で仕入れをして販売する仲間のグループとして、「JAC」という組織を立ち上げました。その後「JAC」から「ポラン広場」が飛び出し、ポラン広場の「夢市場」が飛び出したりして、共同購入を母体に広がった「大地を守る会」などの団体を中心に有機農産物の流通の世界は広がっていきました。

現在では、これらの団体から仕入れをしているお店が全国に数百店舗あると思います。
さすがにリアカーはなくなったと思いますが、お店以外にも宅配、移動販売など形状は様々です。

ここ10年くらいで大きく増えた有機野菜の店ですが、都会では大手企業や、宅配なども多く過当競争気味で、いくつか無くなった店もあります。

逆に都会の仕事といわれた有機野菜のお店が関心の広がりと共に地方へ広がり、ここ数年でようやく、人口10万〜20万の地方都市でも可能な仕事になってきています。



お店を開くには、その町に同じような店が無いか、大手宅配が無いかなどを考慮に入れます。宅配があっても、お店には別の購買の流れがありますので、必ずしもあきらめる必要はありません。

健康食品店やチェーンで展開している自然食品店、生協は経験によるとそれほどの競合はないと思います。

有機野菜を年間安定して揃えようと思ったら、さきほどの「ポラン広場」「大地」「JAC」などとのおつきあいを考えてみることをお勧めします。一店で年間コンスタントに一定量の野菜や果物を揃えるのは難しいので、地物以外はこういった団体からいただくのが一般的です。(独自のルートでがんばっているところもあります。)

野菜や食品を扱う一番の利点は食べるのに困らないこと、またリピートのお客さんがつきやすいことです。

農家やお豆腐などの生産・製造者とのおつきあいという楽しみもあります。

ただし、健康食品などと比べ、利幅は少なく忙しいのに稼ぎにはならないようになっています。

だいたいひとりで月200万くらいが損益分岐点、月300万の売上を出そうとしたらコマネズミのように働くことになります。
お店としては売上が多いほど時間と体力は楽になりますが、500万売り上げているところは少なく、200万〜300万位のところが多いようです。

当然商品知識はいりますし、この世界は生産者や仲間のお店との間に独特のネットワークがあります。
お店をしてみたい人は、一度どこかの店で働いてみることをお勧めします。

野菜を扱うのに西向きの店舗を借りちゃったなどの失敗は、あとに響きます。
それぞれの季節に必要なノウハウもありますので1年働いてみるのがいいのですが、無理なら数週間数ヶ月でもきっと役に立つことはありますので。。。。
もっとも私たちは試行錯誤で身につけてきたことのほうが多いのですが。


b.エコショップ

石けんやリサイクル品、天然素材の衣料などを扱うわけですが、まだまだ都会でようやく成り立つ店があるくらいで、地方ではほとんど有機野菜やフェアトレード、玄米定食屋などとの複合店です。

ただし急成長しており、今後は大きく全国に広がっていく可能性はあります。

初期投資がかからず、お店や自宅の隅でもはじめられるので、まずはお金を使わず小さくはじめるのが無難です。

お客さんとのコミュニケーションを取っているうちに商品知識や店の経営などの経験を積んでいきます。人の家には気楽に上がり込みにくいものです。いつまでも自宅の隅ですと、ほこりをかぶったり、道楽だといわれたりしますので、やはり将来のビジョンを持って進んでいってもらいたいと思います。

有機野菜の場合もそうですが、問屋は主に小さな個人商店を対象にしているところが多いので、問屋とのおつきあいも熱意とビジョンがあれば、たった一人ではじめるお店でもお付き合いしてくれるところが多いようです。


c.フェアトレードショップ

以前は「第三世界ショップ」「曹洞宗ボランティア」など一部の団体だけが扱っていた第三世界から公正貿易によって輸入された雑貨や衣料ですが、ここに来てよく耳にするようになりました。

わりと地方の中心都市などでも元気な店が多くなってきました。


フェアトレードのものを扱う団体も増え、民芸品中心だったのが、石けん、ヘナ、衣類、靴下、食品、楽器などバラエティーが増えてきました。
しかし、衣類などまだ縫製が粗かったり日本人に合わないデザインだったりします。

もっとも10年くらい前から見ればずいぶん良くなりましたので、これからも良くなっていくと思います。食品や消耗品は別として委託が多く、粗利は少ないもののリスクも少なく済みます。

同じようなものが、インド雑貨屋などに安く並んでおり、フェアトレードをいかにアピールできるかが鍵になりそうです。


てくてくでは、「有機野菜や食品」を中心にエコグッズやフェアトレードのものも扱っています。
それは地方だからどれも他にはないのと、家賃が安く広いスペースを販売に使えるからです。

都会ですと、有機野菜の店だけど石けんも置いている、とかファトレード専門店だけど、そのなかで有機食品や石けんに力を入れているという形になると思います。

ここで注意しなければならないのは、このすべてに精通して目を行き届かせるのは不可能だということです。複合店にするときも、それぞれに中心になる人は必要です。

店では私(立田)が食品を、つれあいがフェアトレードと石けんや雑貨を主に担当しています。また、商品数が多くなると商品管理も大変になります。あれもこれも、は結局無駄を多くすることになりかねません。


もうひとつ。既存店との関係をよくしておくことも大事です。エコショップや有機野菜の店はどこも小さなお店。競い合えば共倒れです。

できるだけ商圏が重なり合わないようにして、誠意を持ってつきあっていけば競い合うのでなく、助け合うような関係も作れると思います。


お店を開く前に近くのお店とじっくり話し合っておきましょう。


3.てくてくの場合

てくてくは、自己資金はほとんど無い状態からはじめたお店です。また、まだまだ都会の仕事だとされている有機野菜やエコグッズなどのお店を田舎の小さな町で営んでいます。
そして私たちは”販売”という仕事についてはまったくの素人でした。


私たちはここ伊那の谷に来る前に長野県松本市は美ヶ原の麓でヤギや鶏、薪ストーブとランプの生活をしていました。生活費はふたりで月10万円も使わない生活でした。

その後ネパール・タイ旅行の後に伊那の地に移ったのが10年ほど前です。この仕事をはじめたのは1991年5月。前の月には子供も生まれ仕事もしていなかったので、ほとんど自己資金なしではじめました。

最初は4万円で買った軽トラックを改造して、知り合いの有機農家から、つけで仕入れた野菜を載せて売り歩きました。スタート時には地元の野菜・果物・卵・豆腐・味噌など18品目。

お客さんも「何か買ってあげたいんだけど」といって一生懸命買うものを考え、「こんなものそろえてみたら?どこそこの何がおいしいよ」とアドバイスしてくれました。

そのあと、「ポラン広場」「長門牧場牛乳」「ほんコミニケート」「さぷ」「ガイア」などおつきあいが広がっていき、今は約2000アイテムです。お客さんが「あそこも廻ってあげて」と紹介してくれて、商品も増え、いよいよ軽トラックに載せきれなくなったので、2年目の後半から移動販売しながら、ここ伊那谷の中心、飯田市に店を探して歩きました。移動販売していたことで、土地感はできていましたから、町の中心からも程よい距離でいい物件を探すことができました。

それが今お店をやっている場所です。駅の裏、閑静な住宅街にあり、市内のあちこちからもアクセスがよく、地代も高くない場所というのは、そうそう見つかるものではないと思っています。

お店を開くときに商工会議所で斡旋してもらい、市の融資を200万円借りることができました。最初からですと、とても無理だったと思います。

店を決めたのが1993年の1月、移動販売をしながら内装を整えていって4月に仮オープン、そしてその年の5月に本オープンして、現在にいたっています。

内装もお金の余裕が無かったので「作る・もらう・ひろう」をモットーに、それこそ今あるような大きな冷蔵ショーケースも保冷庫も無く、家庭用の冷蔵庫をお店に置いておりました。もちろん、お金があればしなくていい苦労や回り道はたくさんありました。お金があれば、それにこしたことはありませんが、無くてもできるということを世間に実証したい、という気持ちもあったのでしょう。

最初の2年半は赤字でした。2年目にまた、商工会議所にお願いして200万円、こんどは県の融資を受けることができました。損益分岐店を越えたのは3年目に入ってから。
そんなこんなでようやくこれで食べていけるな、と思えるようになったのは、ほんとついここ1〜2年のことです。

食料品を中心にやっているので食いっぱぐれることはありませんが(売れないときほど食べるものはある)一日目いっぱい働いてもそれほど稼げる仕事ではないので、今まで役所勤めだった、サラリーマンをしていた、などの人はその時間と金銭的な落差をしっかり自覚していかないと辛いと思います。

幸い私たちは、ずっと貧乏暮らし(趣味の貧乏という)をしてきたので、仕事のスタイルも稼ぎも、まあこんなところか、と受け入れていけたのではないかと思っています。


帳簿も最初はお小遣い帳につけていました。取引もそんなレベルだったのですが、お店をはじめるととても、お小遣い帳ではすみませんでした。
そこでまた商工会議所にいってアドバイスを受けながら、青色申告帳簿の書き方を勉強しました。

帳簿というのも、今経営が、どんな状態か、どこまで売上を出しているか知るのに、とても大事です。日々お金が流れている商売という仕事では、帳簿をつけないと経営状態はわからないからです。

リソグラフといって軽オフセットをリースで導入して、毎月通信を発行して、その時々の野菜の出荷状況や新商品の情報や、私たちの想いなどを書いてお客さんに手渡しています。これには労力もコストもかかるんですが、私たちはただ商品を手渡すだけでなく、情報やメッセージも一緒に届けたいという気持ちがあるのです。

通信では、商品のことだけでなく、そのものに込められた思いや価値観、また「いのちはつながっていて、それぞれに物語を持っているんだよ」ということを伝えたいと思っています。


開店してから1年は、綱渡りの連続でした。

例えば家族の誰かが風邪でもひけば、がたがたでした。上の子は小さかったし、つれあいは妊娠してるし。

最初の1年は慣れないことばかりで大変でした。仕入れ一つとっても、毎週何かが余ったり足りなかったり。(今でもありますが)

店を持つことで引き売りをやめて配達に切り替えたんですが、これも慣れないので注文の受け方から納品までの流れがなかなか軌道に乗らず、欠品があったりしました。

トラブルがあるたびに、ここはこうすればいいのか、と学んでいって、だんだん形になっていきました。自分たちでマニュアルを作り、自分たちで改善していくということを自然とやっていたと思います。いろんな本や人の話を参考にしてきました。やってみてはじめてわかることもたくさんあります。やってみなくちゃわかりません。

百人いれば百人のやり方があると思います。


お金も知識もない私たちがなんとか、ここまでやってこれたのは、お客さん、肉親、「しょうがない二人だな」と言いながら支えてくれた友人達、アルバイトの仲間達、全国で同じような店を開いている友人達です。

それが一番の財産。


そして、まだまだ発展途上ですが私たちの経験を伝えることで、あとに続く人達になんらかのヒントを伝えられたらいいなと思います。

てくてく  立田秀信(しう)  1999年12月5日